7月は、主人の入院、手術からの
父の容体悪化で、息つく暇もなく
バタバタしておりましたが、
8月2日に、父は88歳の生涯をとじました。
今年の1月に自宅で転倒して
大腿骨を骨折してから、寝たきり状態で
透析をしながら、半年間よく頑張ってくれました。

一時は、踵からの壊死が始まり
最悪、切断!という話もあったのですが

母が毎日、父に介食をしに通ってくれて
栄養状態もよかったのか、途中から
踵がすっかりきれいになりました。

そして5月には、88歳の誕生日を迎え
家族で米
寿のお祝いをすることができ
父が笑顔でこたえてくれたのが何より嬉しかったです。
7月半ば頃からは、食べてもむせるようになり
先生から、肺に水がかなり溜まっているので
食事は取れず、点滴のみということになり
結果、透析すらできない状態になりました。
透析ができないということは、あと数日持つかどうか
という、いわゆる死の宣告をうけました。
母と毎日、病院に通って、父に声をかけると
意識もうろうとした中でも、最後まで反応してくれました。
日に日に弱って痩せていく父を見るのは
とても辛かったですが、一つずつ体の機能の
スイッチを切って、
旅支度をしているんだなと思い
ある程度の覚悟はできていましたが
結局、最期は誰にも看とられずに一人で旅立ちました。
子供の頃、父はいろんなところへ連れて行ってくれましたが
今思うと、面と向かって話をした記憶がありません。
怖い存在でもあり、甘えられない存在でした。
よく衝突もして、埋められない溝みたいなものも
ずっと感じていました。
ちょうど父が80歳になる前の頃、老人性湿疹で
全身ひどい状態を見て、私の中で
「何とかしてあげたい」という気持ちが湧き上がってきました。
それは、私が唯一できる
「ロミロミ」本来、
家族(オハナ)を癒やすためのものなのに
一番大切な家族のために
何もしていなかったと、はたと気づいたのです。
それから、毎週父への
ロミロミが始まりました。
父はとても喜んでくれて、いろんな話もしてくれて
触れながらにして、過去の私のいろんなわだかまりが
すーっと解けていくのを感じました。
そして、1年近く
ロミロミをさせてもらったおかげで
肌の状態もすっかりよくなり
父のことも大好きになりました。
愛情がなかったわけじゃない
うまく伝えられなかっただけで
すごく愛情深い人だったんだな~ロミロミをやっていてよかった~と、改めて感じることができました。

6年7ヶ月の透析生活は大変だったと思いますが
デイサービスでの5年間は楽しそうで
いつもスタッフさんに「
笑顔が素敵ですね」と言われ
最後の病院の看護師さんからも
「
この笑顔に癒やされます」
とよく言われていました。
「いい人だった」
「お茶目な人だった」
「釣りに連れていってくれた」
「人を喜ばすのが好きだった」
など、亡くなってから知る父の一面
父は、好きなことをしながら
たくさんの人に助けられながら
家族の愛に包まれながら
いい人生を締めくくったんだなと思います。
88年間お疲れさまそして
沢山の愛をありがとう!
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