義母が、穏やかに91歳の生涯を終えました。
7日の夜に病院から
脈が弱く、呼吸も浅くなっているとの連絡があり
主人と病室にかけつけると
母はいつもの様子で呼吸をしていました。
姉夫婦と4人で、母のそばに付き添っていると
看護師さんが
「ご家族がいらしてから
安心したのか落ち着いてきましたね。
このまますーっと逝かれる方もあれば
持ち直す方もいらっしゃいます」 とのことで
しばらく様子を見ることにして
姉夫婦が仮眠をとり、私たち夫婦が母のそばで
呼吸によって上下する布団を確認しながら
うとうとしていたら、次第に呼吸が更に浅なり
少しずつ不規則になっているのを感じました。
すぐに姉夫婦と看護師さんを呼んで
みんなが見守る中、最期の呼吸の前に
何か言いたそうに口がかすかに動き
スーッと消えいるように息を引きとりました。
「最期にありがとうって言いたかったのかね」
みんなが納得して、その瞬間を看取り
そして、看護師さんが
「呼吸は止まりましたが、心臓はまだ動いていて
耳は聞こえているから、何か声をかけてあげてください。」
と言うので
皆で泣きながら 「ありがとう、ありがとう」 と
本当に感謝の言葉しかありませんでした。
ほぼひと月半も飲まず食わず、痩せこけて
最期は別人のようになってしまいましたが
本当に最期まで頑張って生き抜いてくれたと思います。
親族が集まって、ひととおりの葬儀の儀式を
執り行い、穏やかに送れることができました。
ここ数年、祥光寺の向和尚のもと
禅と関わり、読経などを通じて
「生きる」という根源のテーマを学んでいますが
檀家である、大養院の和尚も、同じ臨済宗方広寺派で
いまここ道場接心の時に、いつも御祈祷をされていた方でした。
すごく力のある魂のこもった声だと思っていたので
すぐにわかしましたが。。。これもすごいご縁ですね!
本当に素晴らしいお経をあげてくださり
最期までしっかりと見届けてくださりました。
葬儀は、死者の冥福を祈って故人の霊を慰め
遺族の悲しみを癒やすためのものであるけれど
遺された人々の絆を再確認する場でもあり
「いのち」の大切さを教えてくれる場でもあります。
死というものを受け入れて、ご縁に感謝しながら
いまあるいのちを大切に生きていく
そして、自らの心を癒やし清めていくことが
供養にも繋がっていくということですね。
とてもいいお話をしてくれて
義母のことを 「失礼かもしれませんが
とても可愛らしいおばあちゃんです」
その人となりのイメージと名前から
「玉陽恵温」 という素晴らしい戒名をいただきました。
ほっこりと落ち着いてニコニコ笑っている母が
目に浮かびます。
たくさんの愛をありがとうございました!
見えなくても お花を供えたい
食べなくても 美味を供えたい
聞こえなくても 話したい
みえざるものへの真心は美しい

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